室町政争戦乱史

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永禄の政変(足利義輝殺害)

三好三人衆 永禄七年(1564)七月、 三好長慶死去 後継者は 急遽長慶の養子となった 三好義継(みよしよしつぐ) だった この時点で三好一族と 将軍・足利義輝の関係は 悪くなかった この頃、 三好長逸、三好政康、石成友通...
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畠山国清の乱

関東執事畠山国清 文和二年(1353) 観応の擾乱に続き、 武蔵野合戦にも勝利した 足利尊氏 natsunishiki.com/gokougon_tennou/ 尊氏は鎌倉から京都へ帰る際、 子息足利基氏の補佐役として 畠山国清を...
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南北朝合一

長慶天皇、和睦に反発 正平三年/応安元年(1368)年三月に後村上天皇が崩御し、長慶天皇が即位。 長慶天皇は南北朝の和睦に断固反対の立場だった 正平四年/応安二年(1369)正月、南朝の重鎮・楠木正儀が北朝に帰順してしまう 南北朝和睦...
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足利義満死去

北山造営 明徳三年(1392)十月、南北朝合一を成し遂げた足利義満 応永五年から、義満は京都北山に住むようになっていた(今の鹿苑寺金閣) これ以降、将軍義持が「室町殿」と呼ばれ、義満は、新たに「北山殿」と呼ばれるようになる 日本国王 ...
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籤引将軍(足利義持の死と義教の登場)

大御所義持の死 応永三十二年(1425)二月五代将軍義量が死去 それ以降、四代将軍だった義持(義量の父)が政権を執っていた しかし、応永三十五年(1428)正月義持は風呂で臀部の傷を掻き、それが悪化して、死の床についてしまう 当初義持は...
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応仁の乱(大内政弘・畠山義就下国、乱の終結)

山名宗全の死後、西軍は斎藤妙春が奮闘するが劣勢。文明九年(1477)には大内政弘が周防に帰国。畠山義就も河内に帰国し、応仁・文明の乱は終結する 「室町政争戦乱史」目次natsunishiki.com/muromachi_seisoushi...
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応仁の乱(朝倉教景西軍加入、勝元・宗全の死)

文明三年(1471)、越前の朝倉孝景が西軍から東軍に寝返り、これ以降西軍は苦戦。文明五年(1473)には山名宗全・細川勝元が相次いで死去。足利義尚が九代将軍に就任する 「室町政争戦乱史」目次natsunishiki.com/muromac...
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応仁の乱(義視西軍加入、西軍南朝招聘計画、骨皮道賢登場)

応仁元年(1467)十一月東軍の大将であった足利義視は西軍に加入。その後、西軍では後南朝後裔招聘案もたびたび出される。一方、戦場では足軽が活躍をはじめた 「室町政争戦乱史」目次natsunishiki.com/muromachi_seis...
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今川了俊九州戦役

応安四年(1371)、今川了俊(貞世)が対九州南朝戦に派遣される。了俊は元中八年/明徳二年(1391)、九州南朝の最後の拠点を倒し、九州南朝の戦いが終結する 「室町政争戦乱史」目次natsunishiki.com/muromachi_se...
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三好長慶の死

教興寺の合戦で勝利し、畿内支配を盤石にした三好長慶。しかし、永禄六年(1563)、嫡男・三好義興が病死。長慶の後継者は三好義継となる。永禄七年(1564)、長慶は実弟の安宅冬康を殺害。そして長慶自身も同永禄七年に生涯を閉じる 「室町政争戦...