籤引将軍(足利義持の死と義教の登場)

大御所義持の死

  • 応永三十二年(1425)二月
    五代将軍義量が死去
  • それ以降、
    四代将軍だった義持
    (義量の父)が
    政権を執っていた
  • しかし、
    応永三十五年(1428)正月
    義持は風呂で
    臀部の傷を掻き、
    それが悪化して、
    死の床についてしまう
  • 当初義持は、
    後継者を
    諸大名の合議で
    決めるよう伝えるが
  • 三宝院満済が、
    籤引で将軍を決めることを提案。
    義持も了承する
  • 応永三十五年(1428)
    正月十八日、
    足利義持はこの世を去る

籤引将軍

  • くじは、義持の弟
    四人が候補となった
     青蓮院義円
     景徳寺虎山永隆
     大覚寺義昭
     梶井義承認
  • くじの結果、
    選ばれたのは
    義円だった
    (のちの六代将軍足利義教)

義教将軍就任

補足

  • 籤引で将軍を
    決めることについて
    義持が述べたのは、
    「義量の死後、
     男子が再び生まれるかどうか
     くじを引き、
     ”生まれる”
     と出た」
    「それを信じて
     今まで後継者を決めなかったのだ」
    「だから、
     くじをひくのはよいが、
     自分の死後にしてくれ」
    ということだった
  • このくじは公平に行ったのか、
    もともと仕組まれていたのか、
    議論が分かれている
  • 義宣が改名したのは
    「世忍ぶ」
    に繋がるから。
    「義教」
    という名前を決めたのは
    後花園天皇だった

参考書籍