応仁の乱(大内政弘・畠山義就下国、乱の終結)

山名宗全の死後、
西軍は斎藤妙春が
奮闘するが劣勢。
文明九年(1477)には
大内政弘が周防に帰国。
畠山義就も河内に帰国し、
応仁・文明の乱は終結する

「室町政争戦乱史」目次
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斎藤妙春

  • 宗全死後、
    西軍のとなったのは
    美濃守護代で
    土岐成頼被官の
    斎藤妙春
    という人物だった
  • 妙春は隣国に進攻したり、
    和睦交渉を手伝うなど、
    実力者ぶりを見せる
  • しかし、
    妙春でも
    西軍の劣勢を
    挽回することは
    できなかった

大内政弘終戦

  • 東西の和睦に向けて
    難題となっていたのが
    大内政弘の処遇だった
  • 文明九年(1477)十一月、
    大内政弘は中国地方四か国の
    守護職を得て京都を離れる
  • この時は日野富子が
    和睦の仲介を行なった

諸大名下国、応仁の乱終結

  • それに先立つ
    文明九年(1477)九月、
    畠山義就が河内に下向
  • その後、
    義就は河内の支配を確立する
  • この、
    畠山義就、大内政弘の
    帰国によって
    応仁の乱が実質的に終結する
  • 足利義視は美濃へ下向。
    土岐成頼のもとへ
  • 他にも、
    東西の諸大名が
    さまざまな理由で
    京から自国へ帰る
  • 文明九年(1477)十一月、
    戦乱の終結を祝う
    宴が開催された

参考書籍