両統迭立(伏見-後伏見-後二条-花園-後醍醐)

伏見天皇(持明院統)が
子息に譲位し、
後伏見天皇が即位。
これに
亀山上皇(大覚寺統)は反発し、
鎌倉幕府を動かす。
後二条天皇(大覚寺統)が
即位して持明院統は逆に反発。
徳治三年(1308)、
後二条天皇が急逝し、
花園天皇(持明院統)が即位し、
尊治親王(後醍醐天皇)(大覚寺統)が
皇太子となった

「室町政争戦乱史」目次
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伏見・後伏見天皇から後二条天皇へ

  • 後深草天皇系
    (持明院統)と
    亀山天皇系
    (大覚寺統)の間で、
    後継者をめぐる争いが
    起こっていた
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  • 永仁六年(1298)、
    伏見天皇(持明院統)が
    自らの皇子・
    胤仁親王(後伏見天皇)に譲位し、
    伏見上皇(のち法皇)の院政に
  • これにより、
    持明院統の皇位が続く
    見通しとなり、
    不満を抱いた
    亀山上皇
    (大覚寺統)は
    出家してしまう
  • これに困った鎌倉幕府は、
    正安三年(1301)、
    後伏見天皇を在位二年で
    譲位させた
    (持明院統は当然不満)
  • 後宇多上皇(大覚寺統)の皇子・
    邦治親王が即位
    (後二条天皇)。
    後宇多上皇が院政を行なう

恒明親王誕生

  • 乾元二年(1303)、
    亀山上皇(大覚寺統)に
    子息・恒明親王が誕生
  • 亀山天皇は
    後宇多上皇(大覚寺統)、
    伏見上皇(持明院統)の双方に、
    「将来、恒明親王を皇太子とする」
    という約束を取り付ける

尊治親王立太子

  • 徳治三年(1308)、
    後二条天皇が急逝
  • 後伏見上皇(持明院統)の弟・
    富仁親王が花園天皇として即位。
    天皇の父・伏見上皇が院政を行なう
  • 後宇多法皇(大覚寺統)は
    花園天皇(持明院統)の後継として、
    後宇多法皇の次男・尊治親王
    (後二条天皇の弟)
    (後の後醍醐天皇)を立太子させる
    (恒明親王ではなかった)

補足

  • 即位順は皇統譜による
  • 厳密には親王宣下を受ける前は
    「–親王」
    とするのはおかしいし、
    生前から
    「–天皇」
    と諡で呼ぶのはおかしいのだが、
    ここでは
    「–親王」
    「–天皇」
    に統一する

参考書籍