日野(裏松)義資殺害

永享六年(1434)、
日野重子が義教の男児を出産
(後の七代将軍義勝)。
重子の兄は義教から
処分を受けていた
日野義資だった。
義資邸に祝賀に訪れた人々を
義教は処分。
さらに日野義資も
強盗によって殺害された。
これを「義教の仕業」と
噂した者は流罪となってしまう

「室町政争戦乱史 目次」
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足利義教と日野家

  • 日野家は代々将軍家に
    正室を出す家系だった
  • 正長元年(1428)正月、
    青蓮院門跡義円
    (=足利義教)
    が六代将軍に
    なることが決定
  • その直後の
    正長元年(1428)五月、
    義教は日野義資(よしすけ)が
    務めていた代官職を
    没収してしまう
    (「義教が青蓮院門跡だった頃、
    義資は不忠だった」
    との理由)
  • 日野氏出身で、
    四代将軍義持の正妻だった、
    日野栄子が、
    義教に対し猛抗議
    「わが一族を滅ぼされるおつもりか」
    (栄子は義持の正妻だが、
    義教の母ではない)
  • さらに義教は義資から
    別の所領も没収
  • 永享三年(1431)七月、
    日野栄子は死去

男児誕生祝賀

  • 永享六年(1434)二月、
    義資の妹で、義教の側室・
    日野重子が義教との間の
    男子を生む
    (後の七代将軍義勝)
  • 法親王、摂関家など、
    多数の訪問者が義資邸に
    祝賀に訪れる
  • 義教は義資邸に
    見張りをつけ、
    訪問者を調べていた
  • 義資邸を訪れた者六十余人が、
    義教によって
    処罰されてしまう
    (所領没収洛外追放など)

義資殺害、箝口令

  • さらに
    同永享六年(1434)六月、
    義資は自宅で強盗に襲われ、
    殺害される
  • 当然これは
    義教の仕業
    という噂があった
    (伏見宮貞成も日記に
    そのように記述)
  • 義教は箝口令を敷く

高倉永藤流罪

  • しかし、義資殺害について、
    高倉永藤が近臣に、
    「義教による暗殺」
    と発言
  • 高倉永藤は所領没収の末、
    薩摩硫黄島に流罪となった

場所

参考書籍