観応の擾乱(打出浜の戦い、高師直・師泰殺害)

各地の足利直義方の挙兵を見て、
正平六年/観応二年
(1351)正月、足利尊氏は
京に帰還。
しかし、直義側が
圧倒的優勢を築く。
正平六年/観応二年
(1351)二月、打出浜の戦いで
尊氏・高師直軍は惨敗し、
その後、師直・師泰は
殺害されてしまう

「室町政争戦乱史」目次
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尊氏京へ戻るが…

  • 正平五年/観応元年
    (1350)十一月、
    足利直義が南朝に帰順。
    全国各地で大戦乱となり
    同十一月には直義側が
    鎌倉を制圧する
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  • その頃、足利尊氏は
    九州の足利直冬追討のため、
    備前国福岡にまで来ていた
    (京都には
     尊氏の息子・義詮が残り、
     留守を守っていた)
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  • しかし
    尊氏は急遽引き返し、
    正平六年/観応二年
    (1351)正月には
    京に到着
  • 直冬追討には
    高師泰が残ることに
  • 畿内各地で
    直義派と尊氏派が
    交戦するが…
  • 斯波高経・
    山名時氏・
    今川範国らが
    相次いで直義派に鞍替えし、
    直義派が俄然優勢だった
  • 尊氏は播磨国書写山へ
    撤退する
  • 一方、
    高師泰も石見より
    先に進めず、
    東方面へ

打出浜の戦い

  • 正平六年/観応二年
    (1351)二月十七日、
    摂津国打出浜
    尊氏・高師直軍と
    直義側の畠山国清、
    細川顕氏軍らが激突
  • 直義方が圧勝
    惨敗した尊氏側は
    和睦交渉へ

高師直・師泰殺害

  • 和睦交渉の結果、
    高師直、師泰は
    出家することに
  • しかし、
    二月二十六日、
    摂津国鷲林寺で
    師直、師泰らは
    殺害
    されてしまう

場所

参考書籍