藤島の戦い(新田義貞戦死)

金ヶ崎城落城後、
新田義貞は
幕府側の越前国守護・
斯波高経と越前で戦い、
一時金ヶ崎城を奪還する。
しかし、
建武五年/延元三年
(1338)閏七月、
藤島城付近で義貞は戦死してしまう

「室町政争戦乱史」目次
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越前府中の合戦(義貞金ヶ崎城奪還)

  • 延元二年(1337)三月、
    新田義貞らの
    越前金ヶ崎城が
    幕府側に攻められ落城
  • その後、義貞は
    幕府側の越前国守護・
    斯波高経と抗争を繰り広げる
  • 建武五年/延元三年
    (1338)二月、
    義貞は越前府中の
    斯波高経を攻撃
  • 義貞軍が高経軍に勝利し、
    金ヶ崎城を奪還。
    勢力を回復する

灯明時の合戦(義貞戦死)

  • その後、
    幕府軍は金ヶ崎城の
    再奪還を試みるが、
    なかなか攻略できなかった
  • 一方、新田義貞も
    幕府側の藤島城攻略にてこずる
  • 建武五年/延元三年
    (1338)閏七月、
    藤島城付近の
    灯明寺城付近で
    新田義貞ら少数勢と
    斯波高経軍が遭遇
  • 新田義貞は戦死

補足

  • 「太平記」は
    新田義貞の最期に冷たい

場所

参考文献