土岐康行の乱

伊勢・美濃・尾張の
守護職を務めていた
土岐氏で内紛が発生。
明徳元年(1390)、
足利義満が介入し、
土岐氏の勢力を縮小させる

「室町政争戦乱史」目次
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土岐氏の内紛

  • 嘉慶二年(1388)五月、
    尾張国守護職の土岐満貞
    従兄弟の詮直が合戦
  • 敗れた満貞は京都へ
  • 将軍・足利義満
    この内紛への介入を目論み、
    満貞を支持
  • 康応元年(1389)、
    義満は満貞への援軍を尾張に派遣
  • 一方、
    土岐氏の惣領・
    土岐康行(美濃国守護)は
    詮直を支持

土岐康行敗戦

  • 「康行が義満に謀反を企てている」
    との風説が流れる
  • 明徳元年(1390)閏三月、
    土岐頼忠・頼益父子を
    美濃に進攻させた
    (頼忠は康行、満貞の
    叔父にあたる)
  • 敗れた康行は逃走
    乱は終結する
  • 義満の目論見通り、
    土岐氏の勢力は
    削減されたのだった

補足

  • 義満は大名家の庶子
    (家督権者にとっての異母兄弟)
    などを将軍の近臣として、
    将軍の味方にする手法を取っていた
  • この戦いで勝った満貞も、
    「明徳の乱で卑怯な行動をとった」
    として、
    尾張守護職を没収されてしまう

場所

参考書籍