天文法華の乱(天文法華一揆、山科本願寺焼失)

一向宗徒と敵対していた
細川晴元は、天文元年(1532)、
法華宗徒と一向宗徒を戦わせる。
山科の一向宗の根拠地は焼失。
一向宗徒は大坂に逃れる。

こうして法華宗徒が
京都を制圧するが、
天文五年(1536)には
延暦寺と法華宗徒が乱戦。
京都は炎上し、
法華宗徒は壊滅する

「室町政争戦乱史」目次
natsunishiki.com/muromachi_seisoushi/

一向宗徒vs.法華宗徒・細川晴元

  • 天文(てんぶん)元年(1532)、
    細川晴元は
    一向宗徒(本願寺)をけしかけ、
    敵対していた三好元長を滅ぼした
    natsunishiki.com/sakai_kubou_3/
  • しかし、
    同天文元年(1532)八月、堺で
    一向宗徒と晴元の家臣が衝突する
  • 晴元は法華宗徒に、
    一向宗の鎮圧を要請
  • 一向宗も反撃する
    近江の六角定頼も
    法華宗に加勢。
    天文元年(1532)八月、
    一向宗本拠・山科本願寺は
    焼き払われる
  • 本願寺は摂津小坂(大阪)の
    石山に逃れる
    (石山本願寺の起点)
  • その後も、
    一向宗は晴元と戦うが、
    天文二年(1433)六月、
    晴元と一向宗が和睦
  • 晴元は対立していた
    将軍・足利義晴とも和睦。
    天文三年(1434)九月、
    義晴は京都に復帰する

法華宗徒vs.延暦寺

  • 京都を制圧していた
    法華宗徒に対し、
    延暦寺衆徒が不満を持つ
  • 天文五年(1536)
    七月二十二日、
    延暦寺衆徒が決起。
    「法華宗徒vs.延暦寺」
    の戦いに
  • 七月二十七日には
    延暦寺衆徒と
    六角定頼の軍勢が、
    法華宗徒を一気に攻撃。
    そのまま市中に放火し、
    大火災に
  • 結果、法華宗徒は
    京都から一掃されてしまう

補足

  • この、天文五年の
    法華宗徒vs.延暦寺の
    戦いを、
    天文法華の乱
    天文法華一揆
    という。
    (「天文」は「てんぶん」)
  • 七月二十七日の
    火災では、
    下京全体と
    上京の三分の一が
    焼失したらしい
  • 細川晴元は
    義晴の京都復帰後も
    暫く摂津芥川城にいたが、
    法華宗徒敗退後の
    天文五年(1536)九月、
    ようやく上洛する

場所

参考書籍