箱根・竹之下の合戦

足利尊氏は
中先代の乱終結後も
後醍醐天皇の帰京命令を
無視して鎌倉にとどまる。
建武二年(1335)十一月、
後醍醐天皇は尊氏討伐として
新田義貞を派遣。
当初、戦う姿勢を
見せなかった尊氏だが、
義貞が鎌倉に迫り、出陣。
義貞を撃破する

「室町政争戦乱史」目次
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尊氏、帰京命令を無視

  • 建武二年(1335)八月、
    足利尊氏が北条時行を倒し、
    鎌倉を奪還。
    中先代の乱が集結した
    natsunishiki.com/nakasendai_no_ran_2/
  • 後醍醐天皇は尊氏に
    帰京命令を出す
  • しかし、
    尊氏は命令に従わず、
    鎌倉にとどまった

尊氏出陣、箱根・竹之下の合戦

  • 建武二年(1335)十一月、
    後醍醐天皇は
    尊氏討伐軍として
    新田義貞を派遣
  • 尊氏は出家の意向を示し、
    館に籠る
  • 義貞は東海道を進軍。
    三河矢作などで勝利
  • 直義が義貞軍と戦うが、
    遠江、駿河で敗戦
  • 尊氏は出陣を決意
  • 同建武二年十二月、
    尊氏・直義軍と義貞軍は
    箱根・竹ノ下で相次いで決戦
    (義貞軍では義貞の弟の
    脇屋義助が別動隊を率いていた)
  • 尊氏・直義軍が
    いずれの合戦も勝利
    し、
    義貞は京都に撤退する

場所

参考文献