観応の擾乱(正平の一統)

足利直義との争乱の再開後の
正平六年/観応二年
(1351)十月、
足利尊氏は南朝に帰順。
正平の一統
が成立し、
北朝は否定され、
崇光天皇は廃される。
そして、尊氏は東へ向かい、
鎌倉に入った直義との直接対決へ

「室町政争戦乱史」目次
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正平の一統

  • 正平六年/観応二年
    (1351)七月、
    足利直義は味方を引き連れて
    京を脱出。
    足利尊氏と再び戦となる
    natsunishiki.com/kannou_no_jouran_6/
  • 東西を敵から挟まれる
    形となった尊氏は
    南朝との和睦交渉を
    開始する
  • 正平六年/観応二年
    (1351)十月、
    正平の一統」が
    成立
  • 正平六年/観応二年
    (1351)十一月四日、
    尊氏は直義討伐のため
    鎌倉へ
  • 北朝の崇光天皇と
    皇太子の直仁親王が廃される
  • 北朝が行なった
    叙位・任官はすべてなかったことに

尊氏・直義直接対決へ

  • 一方、
    十一月十五日、
    直義は鎌倉に入る
  • そして尊氏は
    駿河・伊豆国境の
    薩埵山に入城
  • 尊氏と直義との
    直接対決がはじまろうとしていた

参考書籍