長慶相伴衆に(松永久秀大和攻略)

永禄元年(1558)、
長慶と義輝(=義藤)は
合戦の後、和睦。
長慶の河内攻略、
松永久秀の大和攻略も
順調に進む。
長慶は義輝の相伴衆に
加えられた

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永禄元年の義輝・長慶の合戦

  • 天文二十一年(1552)、
    小泉城・霊山城の合戦で、
    三好長慶側が
    足利義藤(=義輝)側に勝利。
    義藤は近江に逃走する
  • その後、
    長慶勢力を拡大。
    播磨、丹波を手中に収める
  • 義藤は義輝と改名。
    近江朽木で再起をうかがう
  • 永禄元年(1558)六月、
    義輝は如意ヶ嶽へ。
    長慶側との緊張が高まり、
    両者は賀茂河原で合戦
  • その後、
    膠着状態に入ったが、
    徐々に長慶が味方を呼び寄せ、
    戦力を増強
  • 同永禄元年十一月、
    六角義賢の仲介で
    長慶と義輝は和解

長慶河内攻略

  • 永禄二年(1559)、
    河内守護代・安見直政の
    こもる高屋城を攻略。
    直政は飯盛城に逃走
  • 長慶は畠山高政を高屋城に入れた
  • しかし永禄三年(1560)、
    直政と高政が和睦する動きを見せる
  • これを見た長慶は
    高屋城、飯盛城を攻撃。
    これを陥落させた
  • その後、
    長慶はみずから
    飯盛城に入城する

松永久秀大和攻略

  • 松永久秀は長慶の臣下で、
    これまで細川晴元との戦などで
    活躍してきた
  • 永禄二年(1559)以降、
    久秀は大和国に入り、
    筒井氏と戦う
  • 久秀はまず信貴山城に入城。
    のちに久秀は多聞城を築城
  • その後も
    久秀の大和攻略戦は
    順調に進む

長慶相伴衆に

  • 永禄三年(1560)正月、
    長慶は上洛し、
    足利義輝に謁見。
    相伴衆」の地位を与えられる
  • 勝ち目がなくなった
    細川晴元は長慶と和睦。
    出家して摂津富田の
    普門寺に入り、
    その後は長慶の庇護下で
    余生を過ごした
    (永禄六年死去)

場所

参考書籍