白旗城の合戦

延元元年(1336)三月、
後醍醐天皇の命を受け、
新田義貞が山陽道を進む。
赤松則村の守る白旗城を
攻撃するが、落とせなかった。
尊氏側は上洛を決定し、
東上を開始する

「室町政争戦乱史」目次
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新田義貞西国へ出陣

  • 建武三年=延元元年(1336)三月、
    九州に敗走していた足利尊氏は
    多々良浜の合戦で勝利する
  • 後醍醐天皇は
    新田義貞に尊氏追討を命令。
    山陽道を西へ向かう
  • この頃、
    後醍醐天皇臣下の
    楠木正成は、天皇に
    「尊氏と組むべき」
    と主張し、
    退けられていたという

義貞白旗城攻め

  • 播磨は尊氏方の
    赤松則村が守っていた
  • 新田義貞は
    白旗城攻撃を開始する
  • しかし、
    赤松則村守る
    白旗城は落ちなかった
  • 義貞の弟の
    脇屋義助も、
    三石城を攻撃するが、
    これもうまくいかない
    (城主は石橋和義)

足利軍東上

  • 建武三年=延元元年
    (1336)四月、
    尊氏は上洛を決定
  • 直義が陸路を進軍し、
    備前国福山城を落城させる
  • この情報を聞いて
    義貞は白旗城攻撃を断念。
  • 摂津国兵庫まで退いた義貞と
    尊氏・直義の決戦が迫る

場所

参考文献