四条畷の合戦(楠木正行戦死)

正平二年/貞和三年
(1347)、
楠木正成の子・
楠木正行が挙兵。
幕府軍に連勝する。
しかし、
正平三年/貞和四年
(1348)、
高師直率いる幕府軍が
正行軍に勝利。
正行は自害した

「室町政争戦乱史」目次
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楠木正行挙兵

  • 楠木正行(まさつら)は
    楠木正成の子で、
    湊川の合戦の直前に
    正成と別れていた
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  • その後、
    正行は河内に逼塞し、
    挙兵の機会をうかがっていた
  • 正平二年/貞和三年
    (1347)八月、
    正行は紀伊で挙兵
    紀伊隅田城を攻撃する

細川顕氏軍敗退

  • 幕府側は
    同正平二年/貞和三年
    (1347)八月、
    細川顕氏に
    正行の鎮圧にあたらせる
  • しかし、正行は
    池尻、八尾、
    藤井寺、教興寺などで
    幕府軍に勝利。
    顕氏を京に撤退させる
    (特に藤井寺合戦は
    正行軍の大勝だった)
    (途中で幕府軍に
    山名時氏が加勢した)
  • 同年十一月、
    細川顕氏・山名時氏と
    正行軍が再び
    天王寺・住吉付近で
    合戦。
    これも正行軍の
    大勝に終わる

四条畷の合戦

  • 幕府は顕氏を
    追討軍の大将から解任
  • 替わって
    高師直が正行追討に
    派遣される
  • 正平三年/貞和四年
    (1348)一月二日、
    四条畷
    正行軍・幕府軍が激突
  • 一月五日、戦闘が終了。
    敗北した正行は自害する

補足

  • 細川顕氏は
    河内・和泉守護だったが、
    高師泰に替えられている
  • これをきっかけに、
    高師直の声望は
    大いに高まった
  • 教興寺では
    室町時代の終わりにも
    合戦が行なわれている

場所

参考文献