八月十八日の政変/天誅組の乱/生野の変

天誅組の乱(はじまり)

  • 文久三年(1863)八月十三日、
    尊王攘夷倒幕派・
    真木和泉らの工作で、
    孝明天皇の名のもと、
    攘夷親征・大和行幸の命
    出される
  • これを受け、
    土佐脱藩浪士吉村寅太郎、
    備前の藤本鉄石、
    三河の松本奎堂らが
    「天誅組」を結成
  • 公卿中山忠能の子・
    中山忠光が擁立された
  • 八月十七日、
    天誅組は大和国五条の
    幕府代官所を襲撃し、
    代官の首を斬る

八月十八日の政変(七卿落ち)

  • この事態に、
    中川宮朝彦親王、
    近衛忠房らと、
    薩摩藩・会津藩ら
    公武合体派は反撃を狙う
  • 八月十八日未明、
    公武合体派の兵力が
    御所を包囲
  • 「攘夷親征延期」が決定
  • 三条実美、三条西季知、
    東久世道禧、沢宣嘉ら
    七人の尊攘派公家と、
    長州藩兵仙人が長州へ敗走

天誅組の乱(終結)

  • 孝明天皇は天誅組の追討を命じる
  • 吉村寅太郎は大和で討たれる
  • 九月二十七日、天誅組壊滅
  • 中山忠光は脱出

生野の変

  • 文久三年(1863)、
    平野国臣らの浪士が
    地元の地主・豪農と
    協力し、挙兵
  • 追放七卿の一人、
    沢宣嘉が擁立される
  • 十月十二日、
    代官所を襲撃
  • しかし、
    近隣諸藩が出兵し、
    蜂起軍は崩壊
  • 沢は脱走
  • 平野は捕縛され、
    後に斬首される

補足

  • 薩摩藩と会津藩は同盟を結んでいた
  • 平野国臣は福岡藩士。
    清河八郎・西郷隆盛と交流があり、
    島津久光の上洛にも
    関わっていた
  • 生野の変には、
    奇兵隊士・河上弥市や、
    下関の豪商・白石正一郎の弟・
    白石廉作らも参加していた

参考書籍