観応の擾乱(薩埵山合戦、直義の死)

薩埵山に陣取る足利尊氏と
それを包囲する足利直義。
尊氏側の宇都宮氏綱の挙兵があり
直義は敗北。
鎌倉に送られ、そこで死没する

「室町政争戦乱史」目次
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薩埵山包囲戦

  • 正平六年/観応二年
    (1351)十一月、
    足利尊氏は
    駿河・伊豆国境の
    薩埵山に着陣
    natsunishiki.com/shouhei_no_ittou/
  • 一方、
    足利直義も鎌倉から出陣。
    直義軍は薩埵山を包囲する
  • 数で勝る
    直義軍が有利に立った

宇都宮氏綱挙兵

  • しかし
    正平六年/観応二年
    (1351)十二月、
    下野国で尊氏派の
    宇都宮氏綱が挙兵
  • 宇都宮軍は
    直義側を破って進軍
  • 挟み撃ちとなった
    直義は尊氏軍からも
    攻められ、敗北

直義降伏・死

  • 正平七/観応三年
    (1352)正月、
    直義は尊氏からの
    降伏勧告を受け入れ
    身柄を確保される
  • 直義は鎌倉へ護送され、
    浄明寺に幽閉
  • しかし、
    二月二十六日、
    直義は死没
  • 暗殺とも、
    病死とも言われる

場所

参考書籍