三別抄の乱

三別抄の乱

  • 1269年六月、
    高麗の林衍(イムヨン)が
    高麗元宗(モンゴルに服属していた)
    に対し叛乱
  • この叛乱は成功するが、
    1270年二月、
    林衍は病死
  • 林衍の子・
    林惟茂(イムヨム)も殺害される
  • モンゴルへの降伏後も
    高麗の都は
    江華島にあったが、
    開城(本土)への遷都を決定する
  • 遷都に反対して
    1270年六月、
    裴仲孫ら三別抄が
    叛乱を起こす
    (さんべつしょう)
    (サムピョルチヨ)
  • 当初、
    三別抄は朝鮮半島南西の
    珍島を拠点とし、
    強い勢力を保った
  • その後、三別抄は
    徐々に劣勢となり、
    朝鮮半島から離れた
    済州島へ遷る

三別抄の書状

  • 文永八年(1271)九月、
    「高麗からの書状」が
    朝廷に届く
  • 国書は、
    モンゴルを悪しざまに
    罵っていた
  • また、国書は、
    日本に、
    兵や食料の支援を要請するものだった
  • これまでの
    高麗の国書とは
    大きく違っていた
    この書状に朝廷は困惑
  • 実はこの書状は
    三別抄から日本に
    送られたものだった
  • 結局朝廷は
    これにも返事を出さなかった
  • その後、
    1273年四月、
    三別抄は滅亡

参考書籍