堺公方成立

大栄六年(1526)、
細川高国の家臣が蜂起
阿波の細川晴元も同調する
(家臣の三好元長が主導した)。

翌大栄七年(1527)
これらの反高国派が
足利義晴・細川高国を追いやる。
足利義維を公方とする、
堺幕府」が成立

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細川高国家臣の蜂起

  • 大栄元年(1521)、
    細川高国は将軍・足利義晴を擁立
  • 一方、前将軍・足利義稙は、
    大栄三年(1523)に阿波で死去。
    養子の足利義維が後を継いだ
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  • 大栄五年(1525)、
    細川高国の後継となる予定だった
    細川植国が病死
    これをきっかけに
    高国政権内に不穏な空気が…
  • 大栄六年(1526)、
    細川高国のいとこの
    細川尹賢(ただかた)が高国に、
    「家臣の香西元盛は
    敵方と通じている」
    と伝える
  • これを信じた高国は、
    香西元盛を殺害させる
  • これに
    元盛の実兄・波多野植通(=元清)と
    元盛の弟・柳本賢治(かたはる)が
    激怒
  • 植通・賢治らは高国から離反し、
    晴元と通じる
  • 同大栄六年(1526)十月、
    植通・賢治は丹波にて挙兵

堺幕府成立

  • この機をみて、
    足利義維を擁する、
    阿波の細川晴元も、
    家臣の三好元長主導のもと挙兵
    畿内に上陸する
  • 翌大栄七年(1527)二月、
    高国方と反高国方が
    桂川で激突。
    高国方は敗北
  • 高国と義晴は近江へ逃走
  • 大栄七年(1527)三月、
    足利義維も上陸。
    「堺幕府」が成立する

補足

参考書籍