建武の新政(西園寺公宗事件)

後醍醐天皇は入京後、
「建武の新政」に着手。
建武二年(1335)、
元関東申次の貴族・
西園寺公宗が
北条氏の生き残りと
結託して謀反を起こしたとして
逮捕される事件が発生する

「室町政争戦乱史」目次
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建武の新政の組織体制

  • 元弘三年(1333)六月、
    鎌倉幕府を滅ぼし、
    後醍醐天皇が入京する
  • そして
    後醍醐天皇は
    「延喜・天暦の治」
    を目指し、
    「建武の新政」
    に着手した
  • ここで、
    「建武の新政」
    の組織的な構想を
    見てみよう
  • 重要政務は
    記録所」が担当
  • 恩賞に関しては
    恩賞方」が担当
  • 訴訟に関しては
    雑訴決断所」が担当
  • 軍事に関しては
    武者所」が担当
  • 「窪所」という
    よく分からない機関もあった
    (「問注所」の草書体?)
  • しかし恩賞などを巡る
    不満・混乱は
    大きかった
  • 建武元年(1334)八月には、
    京都の二条河原に有名な
    二条河原落書
    が張り出されている

西園寺公宗と北条泰家

  • 西園寺公宗は
    鎌倉時代、鎌倉幕府と
    「関東申次」
    の職にあった
  • しかし、
    鎌倉幕府滅亡後は冷遇される
  • 北条高時の弟・北条泰家は
    鎌倉幕府滅亡時に逃走。
    陸奥に逃れていた
  • その後、京都で
    公宗が泰家を匿うように

西園寺公宗逮捕

  • 建武二年(1335)六月、
    公宗の弟・西園寺公重の
    通報により、
    公宗は捕縛される
  • ほかに
    日野資名・氏光父子も
    捕らえられる
    (資名は日野資朝の兄)
  • 「北条時行と共謀し、」
    持明院統
    (中でも後伏見上皇)
    を擁立して、後醍醐政権を倒す」」
    陰謀があったとされる
    (北条時行は北条高時の遺児)
  • そして、
    北条時行は信濃で生存していた

補足

  • この事件では、
    「京都の治安維持にあたっていた
    高師直と楠木正成が
    共同で謀反人を逮捕した」
    とされる。
    この二人がタッグを組むなんて、
    いかにも三谷幸喜あたりが
    考えそうな話だが、
    おそらく史実らしい
    (亀田俊和による)

参考文献