第二次長州征伐

高杉晋作功山寺挙兵

  • 元治元年(1864)十二月十六日、長州藩上層部(「俗論派」に対し高杉晋作が挙兵
  • 井上馨、河上彦斎、山県有朋らが呼応
  • 元治二年(1865)一月七日、赤郷絵堂の藩軍に奇襲し勝利
  • 高杉ら(「正義派」)が藩政の主導権を握る

第二次長州征伐へ

  • 五月、高杉のクーデタに怒った幕府は第二次長州征伐を決定
    (総大将は紀州藩主徳川茂承)
  • 将軍家茂も宮中に参内し、了承を得た後、閏五月、大坂城へ
  • しかし、薩摩藩は出兵を拒否する
    (西郷隆盛の藩内工作による)

薩長同盟

  • 長州は禁門の変で倒された過去から薩摩を恨んでいた
  • 土佐脱藩浪士・坂本龍馬(亀山社中代表)、中岡慎太郎らが桂・高杉、西郷両者の仲を取り持つ
  • 慶応二年一月二十一日、坂本らのとりなしで、西郷隆盛、小松帯刀と桂小五郎との間で、薩長同盟が成立する

第二次長州征伐

  • 六月、幕府軍艦が周防大島を砲撃。
    十万の兵を長州に送るが…
  • 石見口での大村益次郎の奮戦などがあり、幕府軍は苦戦
  • 長州藩は亀山社中から購入したミニエー銃を大量装備
  • 奇兵隊や他の隊が参戦し、河瀬安四郎、井上聞多らが指揮
  • 七月二十日、大坂城で将軍・徳川家茂が死去
    (死因は脚気衝心)
  • 八月、徳川慶喜が朝廷に長州征伐取り止めの申し立てを行い、停戦命令が下る

参考書籍