両細川の乱(義晴将軍就任)

大栄元年(1521)、
将軍足利義稙が
細川高国と対立。
義稙は出奔。
高国は十二代将軍として
義澄の子・足利義晴を
擁立する。
一方、義稙は、
阿波の細川晴元のもとで、
大栄三年(1523)に死去。
養子の義維が後を継ぐ

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義晴将軍就任

  • 永正十七年(1520)、
    細川高国が細川澄元を破り、
    覇権を握る
    (義稙は高国側から澄元側に
    寝返っていた。
    これで再び高国の庇護下に)
    (澄元はその後病死)
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  • 大栄元年(1521)三月、
    高国と義稙がまたも対立。
    義稙は堺に出奔する
  • 高国は義澄の息子・
    足利義晴を十二代将軍
    (義晴は十一歳だった)
  • その後も
    義晴と高国の関係は
    良好だったよう

義稙死去、義維

  • 出奔後、義稙は
    摂津堺、淡路と転々とし、
    最終的に阿波の
    細川晴元のもとへ
    (晴元は細川澄元の子
    このとき七歳だった)
  • 大栄三年(1523)四月、
    義稙、阿波で病死
  • 後を継いだのは
    義澄の子で、義晴の弟だが
    義稙の養子となっていた
    義維(よしつな)

補足

  • 高国に将軍として
    擁立される以前、
    義晴は播磨の赤松氏の
    もとにいたらしい
  • 義稙の出奔に従ったものには
    畠山順光という人が
    いたらしい
  • 義維の幼少期には
    不明な点が多く、
    「母親が誰か」
    「いつ頃義稙の養子になったのか」
    など不明
  • 義稙は享年五十八歳。
    明応の政変(1493)から
    ちょうど三十年が
    経っていた
    (将軍復帰からは十六年)

参考書籍

  • 「室町幕府全将軍・管領列伝」
    星海社新書
    木下聡、西島太郎、平野明夫、
    岡田謙一、山下真理子
    = 該当部分
    bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000315465
  • 「足利義晴と畿内動乱
     分裂した将軍家」
    戎光祥出版
    山田康弘 = 著
    (未読なので読まなければ)
    ebisukosyo.co.jp/item/567/
  • 足利義稙
    戦国に生きた不屈の大将軍」

    戎光祥出版
    山田康弘 = 著
    (未読なので読まなければ)
    ebisukosyo.co.jp/item/250/