両細川の乱(永正十六年、十七年の合戦)

永正十六年(1519)、
阿波にいた
細川澄元が挙兵
義稙(義尹改め)は
細川高国側から
澄元側へと寝返り、
澄元が覇権を握る。
しかし
翌永正十七年(1520)には
細川高国が逆転し、
再び義稙-高国体制へ

(室町時代政争史
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義尹、高国と対立

  • 永正八年(1511)、
    足利義澄は死去。
    船岡山合戦で
    足利義尹(=義材、義稙)と
    細川高国勢が
    故足利義澄・細川澄元勢に
    勝利し、義尹(義稙)は
    京に戻る
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  • 永正十年(1513)三月、
    義尹(義稙)が
    大内義興、細川高国らと
    対立し、京都を出て
    近江甲賀に出奔
  • 義興、高国らが
    義尹(義稙)に詫び、
    義稙は京に戻る

細川澄元挙兵も敗れる

  • 永正十五年(1518)八月、
    大内義興が周防に帰国
  • 永正十六年(1519)十月、
    義興の帰国の機をとらえて
    阿波にいた細川澄元が
    挙兵
  • 永正十七年(1520)二月、
    細川高国方の越水城が
    落城するなど、
    高国方は敗北
    (高国は六角定頼を頼り
    近江坂本に逃亡する)
  • これと前後して
    義稙(義尹改め)は
    高国側から寝返り
    細川澄元と組んでいた
    (澄元の家臣・
    三好之長が上洛し、
    義稙と対面)
  • しかし五月、
    六角定頼擁する高国
    反撃し、澄元軍を破る
    (之長は切腹させられる)
  • 敗れた細川澄元は
    六月、失意のうちに病死
  • こうして
    再び義稙-高国体制に

補足

  • 三好之長は、
    曇華院(どんげいん)に
    隠れていたが、発見され、
    百万遍知恩寺にて切腹
  • この頃、1517年10月、
    ヴィッテンベルク大学で、
    マルティン・ルターが
    「95か条の論題」を
    掲示している
  • この一連の事件、
    高国・澄元最後の戦いは、
    名前すら明確なのがない

場所

参考書籍

  • 「室町幕府全将軍・管領列伝」
    星海社新書
    木下聡、西島太郎、平野明夫、
    岡田謙一、山下真理子
    = 該当部分
    bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000315465
  • 「足利義晴と畿内動乱
     分裂した将軍家」
    戎光祥出版
    山田康弘 = 著
    (未読なので読まなければ)
    ebisukosyo.co.jp/item/567/
  • 足利義稙
    戦国に生きた不屈の大将軍」

    戎光祥出版
    山田康弘 = 著
    (未読なので読まなければ)
    ebisukosyo.co.jp/item/250/