両細川の乱(如意ヶ嶽の合戦、船岡山の合戦)

足利義尹(=義稙)が
義澄を追い落とし、
再度将軍の座に就いた後、
永正六年(1509)、
永正八年(1511)、
義澄方が巻き返しを図るが、
いずれも義尹(=義稙)方が
最終的に勝利する

「室町時代政争史」目次
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如意ヶ嶽の合戦

  • 永正五年(1508)六月、
    大内義興や細川高国の協力を得て、
    かつての十代将軍・足利義尹(よしただ)
    (=義材、義稙)が上洛
    征夷大将軍に再任される
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  • 十一代将軍義澄、
    管領細川澄元らは近江に逃亡
  • 永正六年(1509)五月、
    澄元の家臣・三好之長が
    近江から京へ進撃
  • しかし如意ヶ嶽の合戦
    高国方が勝利し、上洛に失敗
  • 細川澄元は近江から
    阿波に去る

義尹近江出兵失敗

  • 同年十月、
    就寝中の将軍義尹(義稙)が
    円珍という刺客に襲撃される。
    義尹は自ら刀を抜いて応戦。
    一命をとりとめる
  • 永正七年(1510)二月、
    義尹(義稙)方の細川高国らが
    打倒義澄のため近江に出兵。
    しかし大敗北

船岡山の合戦

  • 永正八年(1511)六月、
    細川澄元が阿波で挙兵。
    八月、京に進攻する。
    義尹・高国らは丹波神吉に逃亡
  • しかし八月、
    船岡山の合戦
    義尹(義稙)・高国側が勝利
    義尹(義稙)は再び京に戻る

補足

  • 永正七年の義尹の
    近江討伐の大将は、
    「雲龍軒」
    という、ラーメン屋みたいな
    名前の人で、
    この近江討伐で戦死した

場所

参考書籍