小山若犬丸の乱(小田孝朝の乱、田村の乱)

小山義政の乱鎮圧後、
小山義政の子息・
小山若犬丸は、
行方をくらます。
若犬丸は
至徳三年(1386)に
一度挙兵。その後も、
嘉慶元年(1387)の
「小田孝朝の乱」、
応永二年(1395)の
「田村の乱」
などに若犬丸の陰があった。
しかし応永四年(1397)、
ついに若犬丸は自害する

「室町政争戦乱史」目次
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「室町関東政争戦乱史概略
(結城合戦まで)」
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至徳三年の小山若犬丸

  • 康暦二年(1380)から
    永徳二年(1382)にかけて、
    下野国の有力豪族・小山義政
    鎌倉公方・足利氏満に対し、
    三度に渡って決起する。
    最終的に義政は滅ぼされたが、
    息子の若犬丸は逃亡した
    natsunishiki.com/oyama_yoshimasa_no_ran/
  • 至徳三年(1386)五月、
    行方をくらましていた
    小山若犬丸が祇園城にて
    挙兵・籠城する
  • 鎌倉公方・足利氏満
    若犬丸追討軍を派遣。
    しかし若犬丸勢は
    緒戦で勝利を収める
  • が、七月、
    若犬丸勢は敗北
  • しかし、若犬丸は
    行方をくらましてしまった

小田孝朝の乱

  • 至徳四年
    =嘉慶元年(1387)、
    「常陸国の小田氏が、
    小山若犬丸を匿っている」
    という噂が入る
  • これを受け、
    至徳四年
    =嘉慶元年(1387)三月、
    鎌倉にいた小田孝朝らを、
    鎌倉府が拘束
  • 七月、
    鎌倉府は常陸国小田を攻撃
  • 小田氏は男体山(現難台山)
    (筑波山のことではない)
    に立て籠もる。
  • 嘉慶二年(1388)五月、
    鎌倉府方の総攻撃の結果、
    十か月の籠城戦の末、
    小田氏は降伏
  • 若犬丸は発見されなかった
    (そもそも情報自体
    あやふやなものだった)

田村の乱

  • 応永二年(1395)九月、
    陸奥国田村荘の田村則義が蜂起
  • 応永三年(1396)二月、
    小山若犬丸、
    小山の地にて挙兵
  • 同二月、
    足利氏満率いる追討軍が出動する
  • 鎌倉軍も苦戦したが、
    若犬丸は逃走
  • その後、氏満軍は
    田村則義を撃破し、
    七月には戻る

若犬丸自害

  • 応永四年(1397)正月、
    若犬丸は会津の地にて
    追い詰められ、自害
  • 若犬丸には、
    それぞれ五歳・七歳になる、
    宮犬・久犬という名の
    二人の息子がいた。
    この二人も捕らえられ、
    鎌倉に護送された後、
    六浦沖に、
    生きたまま沈められた

補足

  • 伝説に彩られた謎の人物。
    「図説鎌倉府」は
    「応永二年の若犬丸叛乱なんて
    なかったんだよ!」
    みたいな書き方

場所

参考書籍

  • 「図説 鎌倉府」
    戎光祥出版
    杉山一弥 = 編著
    www.ebisukosyo.co.jp/item/535/
  • 「中世武士選書27
     小山氏の盛衰」
     戎光祥出版
    松本一夫 = 著
    こんな面白い事件なのに
    あんまり書籍がなく、
    一般書ではこれが詳しい
    www.ebisukosyo.co.jp/item/179/