応仁の乱(五月合戦、東軍に将軍旗)

応仁元年(1467)五月、
細川勝元側(東軍)と
山名宗全側(西軍)の間で
本格的な戦闘が勃発。
合戦後、細川勝元は
将軍旗を得ることに成功する

「室町政争戦乱史」目次
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御霊合戦後

  • 文正二年(1467)正月、
    畠山政長(細川勝元側)と
    畠山義就(山名宗全側)の間で
    御霊合戦が勃発
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  • これは、
    畠山義就が勝利した
  • その後暫くは小康状態となるが、
    文正二年(1467)三月には
    山名氏と細川氏の間が緊迫。
    山名の家臣が細川の家臣に
    殺害される事件が発生

五月合戦

  • 応仁元年(1467)五月二十六日、
    細川勝元側が
    山名宗全側の一色義直邸を
    襲撃、放火する
    (一色義直は事前に避難していた)
  • 京都各所で戦闘が勃発し
    三日間続く。
    多くの場所に
    火が放たれた

牙旗、東軍に

  • 応仁元年(1467)六月一日、
    細川勝元、
    将軍足利義政に対し、
    将軍旗(牙旗)を求める
  • さらに勝元は
    天皇からの
    「治罰の綸旨」
    も要請
  • 将軍旗は勝元に与えられ、
    細川勝元側が
    名目上幕府軍となったが…

場所

参考書籍