中先代の乱(北条時行鎌倉制圧、足利直義が護良親王を殺害)

建武二年(1335)七月、
北条高時の遺児・
北条時行が信濃国で挙兵、
関東へ進攻する。
足利直義は鎌倉から撤退する。
その際、直義は
護良親王を殺害するのだった

「室町政争戦乱史」目次
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北条時行挙兵

  • 建武二年(1335)六月、
    北条氏の残党と
    西園寺公宗が謀反を
    計画したとされる事件が発覚
    natsunishiki.com/saionji_kimmune/
  • その一か月後の
    建武二年(1335)七月、
    北条高時の遺児・
    北条時行が信濃国で
    建武政権に対して叛乱の挙兵
  • 時行は、諏訪頼重によって
    擁立されていた
  • 時行軍は信濃と北陸の
    国衆たちを味方につけ、
    関東へ進攻する

北条時行鎌倉進攻

  • 鎌倉を守っていたのは
    足利直義
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  • 謀反の疑いで捕らえられた、
    護良親王も鎌倉に送られていた
    natsunishiki.com/moriyoshi_shinnou/
  • 時行軍は関東へ進入後も、
    小手指原、府中などで
    直義軍に勝利
  • 直義は鎌倉から三河への
    撤退を決めた
  • 護良親王が時行軍の
    手に渡ることを恐れた
    直義は、護良親王を殺害する

補足

  • この事件は、
    「先代の鎌倉支配者」
    = 鎌倉幕府と、
    「当代(の鎌倉支配者)」
    = 足利家
    の間の乱ということで、
    「中先代の乱」と言われる。
    また、「廿日先代の乱」とも

参考文献