室町関東政争戦乱史概略(結城合戦まで)

応永二十四年(1417)の
上杉禅秀の乱
は、鎌倉公方が室町幕府と
協力して鎮圧。

しかし、永享十年(1438)、
鎌倉公方・足利持氏
関東管領・上杉憲実と激突。
(永享の乱)
室町幕府の追討軍に持氏は敗れ、
鎌倉府は一度消滅した。
その後、持氏の遺児が起こした
結城合戦
も鎮圧される

「室町政争戦乱史 目次」
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鎌倉公方・関東管領・鎌倉府とは

  • 鎌倉府
    …室町幕府が
    関東地方とその周辺を
    統括するために設置した機関。
    時代によって、統括範囲が
    陸奥、羽後にも広がった
  • 鎌倉公方
    (かまくらくぼう)
    …鎌倉府の長。
    初代は足利基氏(もとうじ)。
    基氏は室町幕府の
    初代将軍・足利尊氏の子で、
    二代将軍・義詮の弟。
    基氏以降は基氏の子孫が務めた
  • 関東管領
    (かんとうかんれい)
    …鎌倉公方の
    補佐役・監視役として
    室町幕府が直接任命した。
    上杉家が代々務めた

鎌倉府の成立

  • 南北朝の動乱と
    観応の擾乱のさなかの
    貞和五年(1349)、
    足利尊氏の子で義詮の弟の
    足利基氏(もとうじ)が
    鎌倉に送られる
    (この基氏が、
    初代鎌倉公方とされる)
  • その後、
    鎌倉公方を上杉氏が
    関東管領として支える体制も
    徐々に確立した

康暦の政変と足利氏満

  • 三代将軍足利義満の時代の
    康暦元年(1379)、京都で
    細川頼之と斯波義将が対立
    (康暦の政変)。
    (康暦 = こうりゃく)
  • この時、二代目鎌倉公方・
    足利氏満(うじみつ)は、
    混乱に乗じて将軍の座を狙い、
    上洛を企てる。
    この時期、
    関東管領・上杉憲春が自殺。
    氏満の上洛を思いとどまらせた
  • 「康暦の政変」のページ
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小山氏の乱

応永の乱と足利満兼

  • 応永六年(1399)、
    中国地方の有力守護・
    大内義弘が、
    将軍・足利義満に対し
    叛旗を翻すが、敗死
    (応永の乱)
  • これと並行して、
    三代目鎌倉公方・
    足利満兼(みつかね)も軍を動かす。
    が、「義弘敗死」
    の報を聞いて鎌倉に撤退
  • 「応永の乱」のページ
    natsunishiki.com/ouei_no_ran/

上杉禅秀の乱と足利義嗣

  • 応永二十四年(1417)、
    前関東管領・
    上杉禅秀が叛乱。
    鎌倉公方・足利持氏を
    襲撃した

    禅秀は足利満隆を担いでいた
    (禅秀 = ぜんしゅう)
  • 室町幕府(四代将軍足利義持)は
    持氏側を支援。
    翌年、乱は鎮圧され、禅秀は自害
  • 同時期の京都では、
    足利義嗣らの叛乱関与が疑われた。
    義嗣は捕縛されたのち死亡
    (殺害か自害か不明)
    (義嗣は三代将軍足利義満の子で、
    現将軍義持の弟)
  • 上杉禅秀の乱のページ
    natsunishiki.com/uesugi_zenshuu_no_ran/
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永享の乱

  • 永享十年(1438)、
    鎌倉公方・足利持氏が、
    関東管領・上杉憲実を攻撃
  • 将軍足利義教が追討軍を出し、
    室町幕府vs.鎌倉府の
    全面戦争に。
    敗れた足利持氏らは
    翌年自害する。
    鎌倉府
    は一時消滅
  • 永享の乱のページ
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結城合戦

  • 永享十二年(1440)、
    持氏遺児の安王丸・春王丸が、
    下総国結城城に籠城。
    首謀者は結城氏朝だった
    (結城城 = ゆうきじょう)
  • 翌年、幕府軍が叛乱を鎮圧し、
    安王丸・春王丸は斬首された
  • 結城合戦のページ
    natsunishiki.com/yuuki_gassen/

つづき
「室町関東政争戦乱史概略
(享徳の乱から豆州騒乱まで)」

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主要参考書籍