建武の新政(護良親王入京、捕縛)

元弘の乱で活躍した
護良親王は、
建武政権樹立後も
しばらく入京しなかった。
元弘三年(1333)六月、
ようやく入京するが、
すぐに足利尊氏に加え、
自らの父・後醍醐天皇とも対立。
建武元年(1334)十月、
謀反の疑いをかけられた
護良親王は、足利氏側に捕縛され、
鎌倉に送られてしまう

「室町政争戦乱史 目次」
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護良親王信貴山残留

  • 元弘の乱の際、
    吉野付近で倒幕の戦を
    繰り広げた護良親王。
    建武政権誕生に大きく貢献した
    natsunishiki.com/genkou_no_ran_1/
  • 元弘三年(1333)、
    後醍醐天皇が
    鎌倉幕府を滅ぼし、
    京都に入る
  • しかし、
    護良親王は、
    後醍醐天皇の上洛支持があっても、
    信貴山に兵を集めたまま、
    動こうとしなかった
  • これは、護良親王に、
    尊氏に対する対抗意識が
    あったためとされる
  • 元弘三年六月、
    護良親王、後醍醐天皇より
    征夷大将軍に任じられ、
    ようやく入京する

護良親王四面楚歌

  • しかし、
    入京してすぐ、
    護良親王と足利尊氏は
    激しく対立
  • しかも、
    護良親王と後醍醐天皇との間にも
    亀裂が走ってしまう
  • 元弘三年(1333)九月ころには、
    征夷大将軍も解任されてしまった

護良親王捕縛、鎌倉へ

  • 建武元年(1334)六月、
    「護良親王が
    尊氏を倒そうとしている」
    という噂が流れた
  • 同建武元年十月、
    護良親王は後醍醐天皇の命により
    捕らえられる
  • 護良親王の身柄は
    足利直義に引き渡され、
    鎌倉へ護送

事件の内幕?

  • 実は、護良親王は
    後醍醐天皇了承のもと、
    尊氏追討のため動いていた
  • しかし、後醍醐天皇は
    土壇場で尊氏の反撃を恐れ、
    護良親王を裏切った
    と言われる

参考文献