宮騒動(寛元の政変)

寛元二年(1244)、
四代将軍九条頼経の息子・
九条頼嗣が五代将軍に就任。
頼経は「大殿」となる。
一方、寛元四年(1246)、
北条時頼が五代執権に。
すぐに時頼は
北条家一族の名越家と対立。
名越光時を失脚させ、
九条頼経を京に送還する

五代将軍九条頼嗣/名越家

  • 寛元ニ年(1244)四月、
    鎌倉幕府将軍が
    四代将軍の九条頼経から、
    その息子九条頼嗣に交代
  • その後、頼経は出家するが、
    「大殿」
    として隠然たる力を持っていた
  • その頼経と
    北条一族のひとつ、
    名越(なごえ)家とは
    親交が深かった
  • 名越家は
    義時の子で泰時の弟の
    名越朝時を祖とする、
    北条氏の庶流
  • そして、
    北条嫡流(のちの得宗家)と
    名越家の間には、
    微妙な緊張関係があった

五代執権北条時頼/名越光時失脚

  • 寛元四年(1246)三月、
    病気の北条経時に替わり、
    北条時頼が執権に就任する
  • 北条時頼執権就任直後、
    時頼と名越光時の間が
    にわかに緊迫
  • しかし、
    ここで光時の弟の
    時章、時長、時兼らは、
    時頼に陳謝してしまう
  • 同寛元四年(1246)
    五月二十五日、
    敗北を悟った光時は
    出家して髻(もとどり)を
    時頼に差し出し、降伏した
  • 光時は完全に失脚し、
    伊豆国江間に
    流されてしまう
  • 同寛元四年(1246)七月、
    九条頼経は
    幽閉の後、
    京に送還される
  • 頼経の父で、
    京の政界の大立者であった
    九条道家も勢威を失った

その後

  • この翌年の
    宝治元年(1247)、
    時頼は再び争乱を起こす
    [宝治合戦]
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  • ところで、
    宝治合戦で生き延びた
    光時の弟の中に、
    十二歳の名越教時という人もいた。
    その名越時章ら兄弟だが…
    [二月騒動]
    natsunishiki.com/nigatsu_soudou/

参考書籍