湊川の合戦

延元元年(1336)二月、
九州から畿内へ向かっていた
足利尊氏・直義軍と
後醍醐天皇方の
新田義貞・楠木正成軍が
摂津国湊川で激突。
足利側の圧勝に終わり、
正成は自害。
尊氏は京に入った

「室町政争戦乱史」目次
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楠木正成出陣

  • 足利尊氏は海路で畿内方面へ。
    直義軍は陸路で進軍していた
  • 後醍醐天皇は、
    義貞の援軍として
    楠木正成に出陣命令を出す
  • ここで、正成は
    天皇に京都を離れ、
    ゲリラ戦で迎え撃つ策を提案したが、
    坊門清忠に
    「体面が悪い」
    と却下された、
    とされる
  • 正成は
    息子・正行(まさつら)を
    帰し、摂津へ
  • そこで
    新田義貞と合流し、
    足利側を迎え撃つ

湊川の合戦

  • 五月二十五日、
    湊川・和田岬に着陣した
    楠木正成・新田義貞軍を
    足利尊氏・直義軍が
    攻撃
  • 足利軍の圧勝に終わる
  • 楠木正成・正季兄弟は自害
  • その後、
    後醍醐天皇は
    近江坂本へ逃走
  • 尊氏は入京を果たす

補足

  • 正成と子息正行は
    桜井駅で別れたとされている。
    この場面は
    多くの絵や歌の題材となった

場所

参考文献