九条頼経下向、源頼茂の変

建保七年(1219)一月の
源実朝暗殺後、
阿野全成の子・時元が滅ぼされ、
阿野全成の子の道暁や
源頼家の子禅暁なども
殺害される。
幕府軍は親王東下を要請するが、
後鳥羽上皇はこれを拒否。
三寅(九条頼経)が鎌倉に向うことに。
大内裏守護の源頼茂が
後鳥羽上皇軍に滅ぼされる

実朝暗殺の余波

  • 建保七年(1219)
    一月二十七日の
    実朝暗殺後も
    幕府の政変は続く
    [実朝暗殺]
    natsunishiki.com/minamoto_no_sanetomo/
  • 阿野全成の子・
    時元も幕府によって
    攻め滅ぼされる
  • 時元の弟の道暁も殺害
  • 仁和寺で修業していた
    頼家の子・禅暁も
    幕府の死者により
    殺害される

三寅(九条頼経)下向

  • 建保七年(1219)三月、
    幕府北条時房が
    軍勢を率いて京へ
  • 時房は後鳥羽上皇に、
    親王の東下を要請するが、
    後鳥羽天皇は
    これを拒否
  • 後鳥羽天皇には実朝との
    一種の信頼関係があったと
    言われる
  • 六月、
    左大臣九条道家の息子・
    三寅(九条頼経)が
    下向することに

源頼茂謀反事件

  • 源頼茂は源頼政の孫で、
    大内裏の守護を務めていた
  • 承久元年(1219)七月十三日、
    頼茂に謀反の疑いがあると、
    後鳥羽天皇の軍勢が突如攻撃
  • 頼茂は
    内裏仁寿殿(じじゅうでん)に
    火をかけ自害

参考書籍