実朝暗殺

建保七年(1219)正月二十七日、
源実朝は鶴岡八幡宮にて、
右大臣に任じられたことの
拝賀を行なう。
式典後、頼家の遺児・公暁
実朝を暗殺。
すぐに公暁も討たれる

三代将軍源実朝

  • 建仁三年(1203)、
    「比企氏の乱」
    が勃発。
    源頼家に替わり、
    源実朝が擁立される
  • 実朝は
    頼朝と北条政子の間の子で、
    頼家の弟
  • 「実朝」
    の名付け親は
    後鳥羽上皇であった
  • 実朝は宮廷文化に
    造詣が深く、
    和歌の嗜みもあって、
    藤原定家など、
    京の貴族との交流もあった
  • 一方、
    一部の鎌倉武士からは
    今一つ頼りない存在ではあった
  • 実朝擁立から
    死までの間に、
    畠山重忠の乱、
    牧氏の変、
    泉親衡の乱、
    そして和田合戦
    などが起きている

公暁

  • 公暁は頼家の子の一人。
    鶴岡八幡宮の僧となり、
    落飾していた

実朝暗殺

  • 右大臣に任じられた源実朝は
    建保七年(1219)正月二十七日、
    鶴岡八幡宮にて拝賀を行なう
  • このとき、
    北条義時は予定を違え、
    拝賀式に出席していなかった
  • 終了して帰る直後、
    源実朝を公暁が暗殺
  • 他に、
    文章博士源仲章も
    殺された
  • 公暁は、
    「親の仇はかく討つぞ」
    と叫びながらであった
    (『愚管抄』)
  • 実は他に三人実行犯がいる
    (顕信、良祐、良弁。
    いずれも僧)
  • 公暁は三浦義村のところに
    逃げるが、そこで殺害
  • しかし、
    大事件の余波は続く
    [九条頼経下向、源頼茂の変]
    natsunishiki.com/minamoto_no_yorimochi/

参考書籍