慶喜将軍就任と孝明天皇崩御

第二次長州征伐失敗

  • 慶応二年(1866)七月二十日、第二次長州征伐(四境戦争)のさなかに、十四代将軍家茂が死去
  • 一橋慶喜は将軍就任を拒否。
    徳川家の相続のみを受け入れる
  • 慶喜は一時長州征伐の貫徹を目指すが、不利を見て取り止め、休戦に動く
  • 九月、長州との休戦協定が結ばれた
    (幕府軍の実質的敗北)

慶応の改革

  • 慶喜は将軍就任を拒否し続けたが、十二月五日、ついに将軍に就任
  • 幕府に
    ・国内事務総裁
    ・会計総裁
    ・外国事務総裁
    ・海軍総裁
    ・陸軍総裁
    を設置

孝明天皇急死

  • 五月から八月にかけて、岩倉具視は
    「王政復古」
    を目指す朝廷内での工作を行なう
  • しかし、孝明天皇は佐幕派であり、岩倉らを処分する
  • 十二月二十五日、孝明天皇が急死。
    三十六歳だった。
    当時から毒殺説があった
  • 翌慶応三年一月、祐宮(さちのみや)睦仁親王が即位
    (明治天皇)

参考書籍