九州永享の乱(大内盛見戦死)

将軍足利義教の命を受け、
大内盛見は、
豊後守護・大友持直と
対決する。
しかし永享三年(1431)、
深江の合戦で持直に敗れ、
盛見は戦死してしまった

「室町政争戦乱史」目次
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義持時代の北部九州・大内氏

  • 大内盛見は応永の乱で敗れた
    大内義弘の息子。
    兄の大内弘茂を破り、
    大内氏の家督を継いでいた
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  • 足利義持時代、
    北部九州では
    大友・大内・少弐の
    三者が争っていた
  • 六代将軍・義教は
    正長元年(1428)末、
    渋川満直(みつただ)を
    九州探題に任命。
  • さらに、
    周防、長門守護・
    大内盛見を
    筑前代官とし、
    九州介入を目論む

深江の合戦(大内盛見敗死)

  • 永享三年(1431)正月、
    大内盛見は、筑前国内の
    大内持直の所領を
    没収しようとする
    (持直は豊後守護)
  • しかし、大友持直は
    肥前守護・少弐満貞らと
    連合し、盛見と対決
  • 盛見は
    筑前から豊前に撤退する
  • 同永享三年(1431)
    六月、盛見は
    筑前萩原(はぎのはら)・深江で
    少弐満貞、大友持直と戦う。
  • しかし、
    大内盛見は敗れ、
    戦死
    してしまった
  • 盛見の死を受け、
    盛見の二人の息子
    大内持世・大内持盛の間で
    家督争い
    が勃発する

補足

  • これはかなりの規模の
    争乱のように感じるのだが、
    通史本にはほとんど載っていない
  • 争乱の名前すら
    明確に決まっていないので、
    私がかってに
    「九州永享の乱」
    としてしまおう
  • 名前が決まっていないと言えば
    大内盛見で、
    読み方は不明。
    「もりみ」
    「もりはる」
    「もりあきら」
    三種類ある

参考書籍