名和長年戦死、光明天皇即位

湊川の合戦で勝利した
足利尊氏軍が入京。
延元元年(1336)六月、
東寺の戦いでも勝利し、
名和長年を戦死させる。
延元元年(1336)
十月から十一月、
尊氏は後醍醐天皇と一時和睦し、
光明天皇が即位。
このとき、
新田義貞は恒良親王とともに、
越前国へ去ってしまう

「室町政争戦乱史」目次
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名和長年戦死

  • 延元元年(1336)五月、
    足利尊氏軍は
    湊川の戦いで
    後醍醐天皇方の
    新田義貞・楠木正成軍に
    勝利
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  • 足利軍はそのまま京に進軍。
    東寺に着陣する
  • 後醍醐天皇は比叡山へ
  • 後醍醐天皇は
    新田義貞・名和長年を
    招聘
    東寺の尊氏軍を攻撃させる
  • 大内裏跡の「内野」
    などで激戦
  • しかし尊氏軍が勝利し、
    名和長年は戦死

光明天皇即位、新田義貞越前へ

  • 同延元元年(1336)八月、
    尊氏の要請を受け、
    光明天皇が践祚
    (光厳天皇の弟・豊仁親王)
  • 同延元元年(1336)十月、
    尊氏は光明天皇即位を
    円満なかたちで行うため、
    後醍醐天皇と一時和睦
  • このとき、
    新田義貞は後醍醐天皇と訣別し、
    恒良親王と越前国金ヶ崎城へ向かった
  • 同延元元年(1336)十一月、
    光明天皇即位
  • そして、
    このときに尊氏は
    「建武式目」
    を発表した
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後醍醐天皇吉野へ

  • 一方、後醍醐天皇は、
    同建武三年/延元元年
    (1336)十二月、
    吉野に脱出する

補足

  • 名和長年は
    「三木一草」
    最後の生き残りだった

場所

  • 東寺
    正式には教王護国寺。
    新幹線からも見える
    京都の象徴
    (このサイトは音が出るので注意)
    toji.or.jp/
  • 内野跡
    現在は内野児童公園となっている
    kyotolove.kyoto/item/I-PA000000000000072490

参考文献