木沢長政の乱(長政敗死)

天文八年(1539)から、
細川晴元のもとに
三好利長(=三好長慶)が
仕えはじめる。

天文十年(1541)から
天文十一年にかけて、
細川晴元の重臣・木沢長政
晴元に対し叛乱を起こす。
三好政長
三好範長(=長慶)らが追討した

「室町政争戦乱史 目次」
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三好利長(=長慶)出仕

  • 天文五年(1536)七月、
    細川晴元が法華宗に勝利
    (天文法華の乱)。
    晴元は九月に上洛し、
    将軍義晴に仕えるようになる
  • 天文八年(1539)正月、
    三好元長の子・三好利長
    (=範長=長慶)が上洛、
    細川晴元に仕え始める
    (利長は十七歳だった)

木沢長政の乱

  • この頃、晴元の下にはすでに
    三好一族の別の系統出身の
    三好政長がいた
  • 天文十年(1541)、
    晴元の重臣・木沢長政
    三好政長と対立
  • 十月、一庫城(かずくらじょう)で
    塩川国満が晴元に叛旗を翻す
  • これに長政も連動し、
    政長・範長などの晴元側と合戦に
  • 天文十一年(1542)三月、
    河内太平寺
    三好範長など晴元側と、
    木沢長政側が合戦
    激戦の末、長政は討死する

補足

  • 三好利長(=長慶)の
    父・元長は晴元の臣下として
    活躍していた家臣。
    natsunishiki.com/sakai_kubou_1/
    しかし、晴元によって
    元長は自害していた
    natsunishiki.com/sakai_kubou_3/
  • 木沢長政は細川晴元の家臣。
    細川高国との戦いや
    一向一揆との戦いでも
    活躍していた
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  • 長政はもともと
    畠山氏家臣だったが、
    細川晴元に仕えた
    異色の経歴
  • 天文八年七月には
    三好政長と三好範長(=長慶)が
    衝突した。
    (範長は晴元に仕え始めたばかり)
    これは九月頃和睦している

場所

注意とお願い

  • 上記の対陣図は、
    参考文献に挙げた
    「戦国の活力」
    をもとに作成
  • が、三好範長が
    援軍に加わったルート等は
    本ブログ筆者の推測なので、
    詳しい方はご指導ください

参考書籍