北畠満雅の乱

応永三十五年
=正長元年(1428)、
称光天皇が崩御
後継の後花園天皇即位に反発し、
北畠満雅小倉宮聖承
擁立して挙兵する。
幕府追討軍が送られ、
満雅は討死する

「室町政争戦乱史」目次
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応永十九年、応永三十年の満雅挙兵

  • 応永十九年(1419)八月、
    後小松天皇
    皇子・躬仁親王(称光天皇)に譲位。
    後小松天皇は上皇となり、
    院政を開始する
  • これに南朝旧臣は強く反発
    後亀山法皇も出奔してしまう
    (もともと南北朝合一の際、
     北朝と南朝が交互に
     即位する約束だった)
  • 応永二十一年九月、
    北畠満雅が南朝勢力を
    集めて挙兵
    (河内の楠木・和田一族も蜂起)
  • 翌応永二十二年十月、
    幕府と北畠満雅は和睦
    (その後、
    後亀山法皇も京都に戻る)
  • 応永三十年八月にも
    北畠満雅は挙兵

正長元年の挙兵

  • 応永三十五年=正長元年
    (1428)一月、
    前将軍・足利義持が死去
    (六代将軍は籤引の結果
    義円(=義宣=義教)に)
  • 七月、
    称光天皇が重体に陥る
  • 称光天皇の後継者は
    伏見宮貞成親王の皇子・
    彦仁王(後花園天皇)に決定
  • 応永三十五年
    =正長元年(1428)
    七月七日深夜、
    小倉宮聖承が京都の在所から
    行方不明に
  • 彦仁王が後継となる
    ことへの抗議だった
  • 聖承は伊勢国司の
    北畠満雅のいる、
    一志郡多気にいた
  • 「鎌倉公方・足利持氏
    北畠満雅が共謀している」
    という噂が立つ
  • 称光天皇は七月二十日に崩御
    (享年二十八歳)。
    彦仁王が即位する(後花園天皇)
  • 幕府は追討軍として
    土岐持頼・土岐頼益を派遣
  • 応永三十五年
    =正長元年(1428)十二月、
    伊勢で三日間にわたる激戦の末、
    北畠満雅は戦死
    首級は京の羅城門に掲げられた
  • その後、
    正長二年(1429)、
    満雅の兄弟・北畠顕雅が
    将軍・足利義教に降伏
  • 永享二年(1430)、
    小倉宮聖承も
    降伏・帰京した

参考書籍