青野原の戦い(北畠顕家戦死まで)

鎌倉を制圧後、
北畠顕家は京に進軍し、
美濃国青野原で
幕府軍に勝利する。
しかし京には入れず、
建武五年/延元三年
(1338)五月、
顕家は和泉で戦死する

「室町政争戦乱史」目次
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青野原の戦い

  • 鎌倉を制圧した
    北畠顕家軍は、
    建武五年/延元三年
    (1338)正月二日、
    京都を目指して西へ出発する
  • 正月二十八日、
    美濃国青野原で
    高師冬軍と激突する
  • これは(おそらく)
    顕家軍の勝利とされている
  • が、顕家軍は
    北近江へと向かわず、
    伊勢へ南下

顕家の書状、顕家戦死

  • 顕家は伊勢から京都を目指す
  • しかし、その後顕家は
    その後、
    摂津、和泉などで戦うが、
    入京できなかった
  • 建武五年/延元三年
    (1338)五月十五日、
    顕家は後醍醐天皇に書状を送る
  • 後醍醐天皇の政治を批判し
    「税の軽減」
    「公平な賞罰」
    「無能な側近の排除」
    などを訴える内容だった
  • 建武五年/延元三年
    (1338)五月二十五日、
    和泉堺浦で顕家は敗北。
    二十歳の若さで戦死した

場所

参考文献