建武の新政(陸奥将軍府・鎌倉将軍府設置)

元弘三年(1333)、
鎌倉幕府滅亡を受けて
後醍醐天皇が入京し、再即位。
建武の新政」をはじめる。
関東は足利氏の勢力圏に。
これに対抗して
後醍醐天皇は
陸奥将軍府を設置。
義良親王北畠顕家を派遣する。
一方、足利氏側は
鎌倉に鎌倉将軍府を設置させ、
成良親王・足利直義
そこに置くように仕向ける

「室町政争戦乱史」目次
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後醍醐天皇入京

  • 元弘三年(1333)五月、
    六波羅と鎌倉が相次いで陥落
  • 元弘三年(1333)六月、
    後醍醐天皇入京。
    光厳天皇は上皇となる。
    (後醍醐天皇は
    「ずっと自分が天皇で、
    光厳天皇など即位しなかった」
    というスタンス。
    ただし、
    光厳天皇は上皇にはなった)
  • 足利高氏は
    後醍醐天皇の名「尊治」から
    一字受け、「足利尊氏」となる
  • そして後醍醐天皇は
    「建武の新政」
    を開始する

奥州と鎌倉

  • 鎌倉幕府滅亡後、
    鎌倉には足利義詮が残り、
    関東では足利氏勢力が支配を
    固めつつあった
    (新田義貞は上京)
  • これを牽制するため、奥州に
    義良親王(のちの後村上天皇)、
    北畠顕家が派遣され、
    「奥州将軍府」となる
    (顕家は親房の子で、十六歳だった)
  • 一方これに対抗して
    高氏側が働きかけ、
    関東には成良親王、足利直義が
    派遣
    される
  • こうして後の
    南北朝の動乱の際の、
    東北-関東-畿内の初期構図が
    できあがった

補足

  • この、
    京都(後醍醐天皇)
    -関東(足利氏)
    -奥州(北畠顕家)
    の関係は、
    後の豊臣秀吉-徳川家康-上杉景勝の
    関係に似ている(と思う)

場所

参考文献