観応の擾乱(一時休戦)

尊氏・直義の和睦により、
一時的な休戦状態に。
しかし、対南朝の交渉は破綻。
さらに諸国で有力武将が
挙兵しはじまる

「室町政争戦乱史」目次
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義詮-直義体制成立?

  • 正平六年/観応二年
    (1351)二月十七日、
    摂津国打出浜で
    尊氏・高師直は
    直義側に惨敗
  • その後、
    高師直ら高一族は
    直義側に殺害されてしまう
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  • 正平六年/観応二年
    (1351)二月二十七日、
    尊氏は京に戻り、
    直義と会談
  • ・高師直殺害犯の処分
    ・尊氏派の処遇
    などを巡って交渉が行われた
  • 交渉の結果、
    「武士への恩賞は
     尊氏が決める」
    ことになる
  • 尊氏の子・義詮が
    政務を執り、
    直義が補佐することに
  • しかし、義詮は直義を
    嫌悪するようになっていた
  • また、
    総じて直義派の武将の
    得るところは少なかった
  • 直義は孤立を深めていく…

南朝和睦交渉破綻

  • 正平六年/観応二年
    (1351)三月、
    尊氏・直義政権と
    南朝(後村上天皇)との
    和睦交渉がはじまる
  • しかし、
    ・今後の皇統はどうするか
    ・幕府の存在はどうするか
    が争点となり、
    五月、完全に決裂してしまう

参考書籍