観応の擾乱(直義京を脱出、直義方鎌倉制圧)

正平五年/観応元年
(1350)十月、
足利直義が京から脱出。
各地で直義側の挙兵が相次ぎ、
鎌倉も直義方が制圧する

「室町政争戦乱史」目次
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直義京を脱出

  • 正平五年/観応元年
    (1350)、
    反尊氏の足利直冬が
    九州を席巻
  • これを受け、
    足利尊氏は
    自ら直冬征伐のため
    九州に出兵しようとする
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  • 正平五年/観応元年
    (1350)十月二十六日、
    足利直義が京から脱出。
    大和国へ
  • しかし尊氏・師直側は
    当初、この直義脱出を
    さほど深刻に
    とらえなかったらしい

直義南朝帰順

  • しかし、
    直義脱出の報を受け、
    石塔頼房、
    細川顕氏、
    畠山国清ら
    有力武将が直義に味方。
    直義勢力が拡大する
  • 正平五年/観応元年
    (1350)十一月二十三日、
    直義は長年戦ってきた
    南朝に帰順
  • もともと
    尊氏と南朝が戦う
    きっかけを作ったのは
    直義だったので、
    直義と南朝が組むとは
    尊氏側は全く思わなかった
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  • 畿内では
    直義派の石塔頼房らの
    兵が猛威を振るう

直義派鎌倉制圧

  • さらに関東でも
    直義派の上杉憲顕が挙兵
  • 憲顕は足利基氏の身柄を確保し、
    高師冬の守っていた
    鎌倉を占拠
  • 師冬は甲斐へ脱出した
  • さらに
    北陸や四国でも
    直義派が挙兵。
    こうして、
    全国的な大乱へと発展する

場所

参考書籍