観応の擾乱(足利直冬九州へ)

正平四年/貞和五年
(1349)、
足利直冬は備後から
九州肥後へ。
そこで独自勢力を築き、
九州は幕府・南朝・直冬の
三つ巴の様相を呈する

「室町政争戦乱史」目次
natsunishiki.com/muromachi_seisoushi/

足利直冬九州へ

  • 正平四年/貞和五年
    (1349)八月、
    高師直軍が足利尊氏邸を包囲。
    足利直義は引退を余儀なくされる
    natsunishiki.com/kannou_no_jouran_2/
  • 中国地方の抑えとして
    備後国にいた足利直冬は
    四国を経て肥後国へ
  • 正平五年/観応元年
    (1350)六月、
    高師泰が足利直冬
    討伐軍として
    九州へ派遣される
    (師泰は師直の弟(兄?))
  • しかし、
    師泰軍は直冬方の
    石見国三隅城攻略に手間取り、
    九州には上陸できなかった

直冬挙兵

  • 一方、直冬は
    九州の少弐頼尚を
    味方に加えるなど、
    着々と勢力を拡大
  • 十月頃、
    直冬は九州で
    反幕府の兵を挙げる
  • こうして
    九州は
    尊氏方(一色道猶)、
    直冬方、
    懐良親王の三つ巴に
  • これに対応するため、
    足利尊氏が
    自ら九州出兵を決める

補足

  • 「直冬は
     師直軍の襲撃を受け、
     九州に逃れた」
    とされていたが、
    「そうではなくて
     自発的に九州を拠点にした」
    という説もある
  • 少弐家はもともと
    鎮西探題一色道猶と
    対立していた
  • 南朝は「正平」を、
    北朝は「観応」を使ったが、
    直冬は改元前の「貞和」
    を使い続けた

場所

参考書籍