観応の擾乱(師直御所巻き、直義引退、鎌倉府誕生)

正平四年/貞和五年
(1349)閏六月、
足利直義は将軍足利尊氏に、
高師直の執事職罷免などを要求し、
これが通る。
しかし同年八月、
高師直が軍勢で尊氏邸を取り囲み、
義詮の上洛、直義の排除を要求。
直義は引退に追い込まれる。
そして、義詮が上洛し、
替わりに足利基氏が鎌倉へ

「室町政争戦乱史」目次
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高師直執事職罷免

  • 正平四年/貞和五年
    (1349)までに、
    「三条殿」足利直義と
    足利家執事・高師直の
    関係は極度に悪化していた

  • 正平四年/貞和五年
    (1349)閏六月、
    直義は兄の将軍足利尊氏に、
    高師直の執事職罷免・
    朝廷出仕停止などを要求
  • 尊氏はこれを認め、
    高師直は執事職を解任された

高師直御所巻き

  • しかし、
    同正平四年/貞和五年
    (1349)八月、
    高師直が京に軍勢を集結させる
  • 直義は尊氏の屋敷に逃げこっむ
  • 師直は直義のいる尊氏邸を包囲
  • 師直は尊氏に対し、
    ・直義の政務引退
    ・直義側近の
     上杉重能、畠山直宗の
     流罪
    ・義詮を上洛させ、
     政務を執らせる
    ことを要求

鎌倉府誕生

  • この少し後、
    師直の要求通り、
    鎌倉にいた足利義詮が上洛
  • 替わりに
    足利尊氏の息子で
    直冬や義詮の弟・
    足利基氏が鎌倉へ
  • これが鎌倉公方家となっていく

その後

  • 尊氏はこれを認め、
    直義は引退せざるをえなくなる
  • 上杉重能、畠山直宗は
    越前に流罪となったが、
    その後、十二月に殺害された

補足

  • このときの師直のように、
    室町将軍の屋敷を
    軍勢で取り囲んで
    政治的示威行動を行なうことを
    御所巻き
    と呼ぶが、その最初の例
  • この事件は石田三成が
    黒田長政や細川忠興らに
    襲われかけ、徳川て…、
    自邸に逃げ込んだ事件と似てる

参考書籍