懐良親王薩摩から肥後へ

暦応五年/興国三年(1342)、
四国に逗留していた
南朝方懐良親王が薩摩へ上陸。
その後、島津氏と戦いを繰り広げる。
正平二年/貞和三年(1347)、
菊池氏を頼り、
懐良親王は肥後国へ

「室町政争戦乱史」目次
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懐良親王忽那島滞在

  • 延元三年
    (1338)九月、
    南朝方の懐良親王は
    征西大将軍として
    九州に派遣された
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  • しかし、
    懐良親王は、
    伊予国忽那島で
    北朝方に足止めされ、
    動けなかった
  • この頃、
    全国的には南朝側は
    劣勢を強いられていた

懐良親王九州上陸

  • 暦応五年/興国三年
    (1342)五月、
    懐良親王は
    薩摩国谷山に上陸。
    谷山隆信の庇護を受ける
  • 正平二年/貞和三年
    (1347)五月から六月にかけて、
    懐良親王軍が北朝方の
    島津軍を急襲。
    戦果を挙げた
  • その後、
    正平二年/貞和三年
    (1347)十二月、
    菊池氏を頼り、
    懐良親王は肥後国へ。
    九州南朝の反攻が
    はじまろうとしていた

補足

  • 暦応四年(1341)
    菊池武重の後継を巡る
    争いが勃発。
    康永四年/興国六年
    (1345)に菊池武光
    内紛に勝利し、
    菊池氏惣領となっている
  • 谷山時代の一時期、
    懐良親王は阿蘇氏を
    頼ろうとしていた。
    一族の恵良惟澄
    (えら・これずみ)は
    南朝方として働いたが、
    惣領の宇治惟時が
    味方とならず、
    阿蘇氏ではなく
    菊池氏を頼った
    とされる
  • 肥後入国後の懐良親王は、
    葦北、宇土津、御船など、
    各地を転々としている

場所

参考文献