嘉吉の乱

嘉吉元年(1441)
六月十四日、
赤松満祐・教康が、
自邸で足利義教を斬殺。
五歳の義勝が将軍就任。
幕府は播磨に赤松追討軍を出し、
赤松満祐・教康親子は滅亡する

「室町政争戦乱史」目次
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事件前

  • 永享九年(1439)頃、
    赤松満祐の所領・播磨と美作が、
    足利義教によって没収される
    噂があった
  • そして
    永享十二年、
    実際に満祐の弟・義雅の
    所領が没収され、
    別の者に与えられる。
    満祐はこれに抗議し下国
  • 満祐は「狂乱」とされ、
    息子の教康が
    出仕するようになる

将軍犬死

  • 嘉吉元年(1441)六月十四日、
    赤松教康が、
    自邸で結城合戦戦勝祝賀を開催。
    足利義教らが招待される
  • その席で
    教康の手勢が義教を殺害
    教康はすぐに屋敷に火を放ち、
    播磨へ下刻
  • 赤松満祐は
    別の場所にいたが
    やはり自邸に火を放ち、
    領国の播磨へ
  • 管領細川持之は脱出する

事件直後

  • 持之が新将軍として
    五歳の千也茶丸
    (ちちゃやまる)を
    擁立(のちの義勝)
  • また、持之は
    義教によって
    罰せられた者たちを赦免
  • 後花園天皇が
    治罰の綸旨を発給する
  • 一方、赤松側は
    足利直冬の孫・
    義尊(よしたか)を
    将軍として擁立

追討

  • 七月、
    幕府の追討軍が出陣
  • 九月、
    山名持豊が赤松親子の居城・
    坂本城(岡山県)を攻略する
  • 満祐は城山城に
    立て籠もるが、
    城に火を放ち自害
  • ほどなく義雅も自害する
  • 教康は伊勢の北畠氏を頼るが、
    受け入れられず自害
  • 足利義尊は翌嘉吉二年、
    僧形で京都の畠山持国を頼って
    入洛したところ、殺害され、
    乱は完全に終息する

補足

  • 義持時代の
    応永三十四年(1427)にも、
    赤松満祐の所領播磨が
    没収されそうになり。
    満祐が自邸に火を放ち、
    下国する事件が起きている
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  • 嘉吉の乱の少し前に、
    管領だった畠山持国が
    将軍義教に嫌われて
    河内に逼塞していた
  • 義教の赤松邸訪問は、
    かつてはかるがもの
    親子見物とされたが、
    現在は戦勝祝宴と
    されることが多い
    (個人的には
    かるがも説の方が好きである)
  • 義教を襲撃する者たちが
    侵入してくる音を
    不審に思った義教に対し、
    同じく何も知らない
    三条実雅が答えた、
    「雷鳴でしょうか」
    はちょっと有名
  • この実雅も、
    事件の際に怪我を負っている。
    また、赤松側に果敢に応戦した
    山名煕高は死亡。
    大内持世、京極孝数も
    後日死亡している
  • 自焼で焼け落ちた
    赤松邸から、
    義教の遺骸を発見したのは
    季瓊真蘂という人で、
    この人もその後
    重要な役割を果たす
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  • 嘉吉の乱の翌日、
    伏見宮貞成が
    日記に書いた文が、
    「将軍かくのごとき犬死、
    古来その例を聞かざることなり」
    である
  • 治罰の綸旨を出す際には、
    「足利が自分の家臣である
    赤松を討つのに綸旨は
    不要ではないか」
    という意見もあったが、
    万里小路時房がOKを出し、
    後花園は意欲的に添削した
  • 討伐軍の主力だった
    山名持豊は、
    これをきっかけに勢力を伸ばし、
    後にこれ以上の
    大乱の主人公になる
  • 赤松義雅は自害の直前、
    追討側の赤松満政に、
    息子・千代丸を託している。
    満政は満祐・義雅のいとこで、
    大河内赤松家で、
    義教の近習として
    権力中枢におり
    もともと惣領家とは
    対立していた
  • この満政は、嘉吉の乱後も
    東播磨の代官を務めるのだが、
    後に意外な運命を
    たどることになる
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  • 満政が託された、
    義雅の子・千代丸は
    後に九重部屋に入り、
    癒し系幕内力士として活躍…
    ではなく、
    やはり再び室町史に
    登場することになる
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  • 心労がたたったのか、
    細川持之は嘉吉三年に死去
  • 実は叛乱側には赤松則繁、
    赤松則尚という生き残りがいて、
    この人たちもこの後再登場
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場所

参考書籍