梶原景時の変

梶原景時

  • 梶原景時
    (かじわらかげとき)
  • 石橋山の戦いで
    敵方でありながら
    窮地の頼朝を助けたとされる
  • 治承寿永の乱の際は、
    前線で戦う源義経と
    折り合いが悪かったらしい
  • 源頼朝に
    重用されていた
    (諜報や警察に近い職務を
    行なっていたらしい)

十三人の合議制

  • 建久元年(1199)正月、
    源頼朝死去。
    源頼家が後継となる
  • しかし、すぐに、
    人々の訴えについては
    有力者十三人の合議で
    決めることに
  • (十三人)
    北条時政
    北条義時
    大江広元
    三善康信
    中原親能
    三浦義澄
    八田知家
    和田義盛
    比企能員
    安達蓮西
    足立遠元
    梶原景時
    二階堂行政

景時追放

(以下、「吾妻鏡」による)

  • 正治元年(1199)十月、
    結城朝光が、
    頼朝の死を悼んで、
    「忠臣二君に仕えず」
    と語る
  • この友光の発言を、
    景時は、
    「頼家に対する不忠」
    とした
  • この情報を聞き、
    自分が処分されそうだと思った
    朝光は三浦義村に相談
  • 義村は景時との対決を決意
  • 反景時の署名が集まり、
    頼家のところに届けられる
  • 景時は鎌倉から去った
    (相模国一宮へ)

景時粛清

  • 正治二年(1200)正月、
    景時が脱出した
    という情報が入る
  • 駿河国清見関を通ろうとした
    景時一行と
    近隣の武士たちの間で合戦
  • 景時と一族のほとんどが戦死

場所

参考書籍