承久の乱(勢多・宇治の合戦)

勢多・宇治の合戦

  • 承久の乱開戦後、
    三軍で西に進軍した幕府軍は
    濃尾・北国で勝利。
    合流して畿内へ向かう
  • 後鳥羽上皇は
    比叡山に協力を要請するが
    断られる
  • 幕府軍は勢多を通って
    まっすぐ西に向かう軍と
    宇治を通って南から
    京都を攻める軍に分かれる
  • 承久三年(1221)六月十三日、
    宇治川で合戦。
    十四日、激戦の末、
    北条泰時率いる
    幕府軍が渡河に成功。
    京に入る

補足・余談

  • 幕府軍のルートは、
    非常に大雑把にいうと、
    名神自動車道のルートと、
    京滋バイパスのルートといえる
  • 承久の乱で
    幕府軍が最も苦戦したのが
    この宇治の戦いで、
    長雨のため雨量が増えている中
    上皇軍の必死の抵抗を受け
    なかなか河を渡れなかった
  • 敗戦して上皇御所に
    行った上皇軍の三浦胤義に対し、
    後鳥羽上皇の言葉は
    「武士がいると
     幕府軍に攻められるから
     早く立ち去れ」
    であったという
  • その後、
    三浦胤義親子は自害

参考書籍