承久の乱(北条政子演説)

鎌倉幕府、後鳥羽上皇挙兵を知る

  • 承久三年(1221)五月十五日、
    後鳥羽上皇が
    京都で開戦
  • 承久三年(1221)五月十九日、
    鎌倉幕府も
    京都の情報を得る
  • 鎌倉では
    後鳥羽上皇の密使・
    押松(おしまつ)が工作活動を
    行っていた
  • 鎌倉幕府、押松を逮捕
  • 後鳥羽上皇側に加わっていた
    三浦胤義は、
    使者を鎌倉に送り、
    兄・三浦義村を誘うが
    義村は拒絶する

北条政子演説

  • 承久三年(1221)五月十九日、
    北条政子が御家人に演説
  • 後鳥羽上皇の綸旨を
    「非義の綸旨」
    とし、
    頼朝・源家の功績を語る
  • 「その恩は山岳よりも高く、
    溟渤よりも深い」
  • この時、政子は
    後鳥羽上皇の
    「義時追討」
    という命令を、
    「幕府打倒」
    の命令だと
    意図的に読み替えていた

鎌倉幕府出兵を決断

  • 鎌倉幕府は後鳥羽上皇との
    開戦を決断する
  • 「東に来る後鳥羽上皇軍を
    迎え撃つ」か、
    「鎌倉幕府軍が西に向かい、
    後鳥羽上皇軍を倒す」か
    意見が割れる
  • 大江広元、三好康信の
    意見で、
    「鎌倉幕府軍が
    西へ向かう」
    案となる
  • 承久三年(1221)五月二十一日、
    まず、北条泰時が
    わずかな手勢を率いて
    西へ向かった

参考書籍