承久の乱(後鳥羽上皇挙兵)

後鳥羽上皇の開戦準備

  • 建保七年(1219)
    信頼していた
    源実朝の暗殺、
    その後の
    北条時房軍勢の上洛などが発生
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  • これにより、
    後鳥羽上皇の、
    鎌倉幕府や
    北条義時に対する印象は、
    最悪になっていた
  • これ以前から、
    後鳥羽上皇は直属軍として
    「西面の武士」
    を組織していた
    (1206年以前)
  • 後鳥羽上皇は
    鎌倉幕府調伏の
    祈祷を盛んに行なうように
  • 藤原定家の歌に
    激怒する事件も発生している
    (定家は心情的には
    やや関東寄りだったらしい)
  • 承久三年(1221)四月、
    順徳天皇が仲恭天皇に譲位

後鳥羽上皇挙兵

  • 承久三年(1221)五月十四日、
    後鳥羽上皇は
    城南寺で流鏑馬を
    行なうという名目で
    畿内周辺の兵を
    大量に集める
  • 親幕派公暁の
    西園寺公経を監禁
  • 幕府京都守護・
    大江親広と伊賀光季を
    呼び出す
  • 大江親広は大江広元の息子。
    親広は後鳥羽上皇の
    支持に応じた
  • 一方、伊賀光季は
    応じなかった
  • 承久三年(1221)五月十五日、
    後鳥羽上皇軍が
    伊賀光季の館を急襲
    光季は討ち取られる
  • 後鳥羽上皇、
    北条義時追討の
    官宣旨と院旨を出す
  • 後鳥羽上皇は諸国から
    さらに軍勢を集めるが…

場所

参考書籍