貞治の政変(道誉大原野花見、長者原の合戦)

康安元年(1361)以降、
管領・斯波義将と
その父・斯波高経が
権力を握る。
が、九州戦役の失敗や
興福寺との対立があり
立場が悪化。
佐々木道誉、赤松則祐ら
からの反発も
受けてしまう。
貞治五年(1366)、
足利義詮は斯波親子を罷免。
斯波親子は越前に逃れる

「室町政争戦乱史」目次
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斯波義将・高経体制

  • 二代将軍足利義詮の時代、
    康安元年(1361)、
    「康安の政変」が起き、
    細川清氏が失脚
  • 同康安元年(1361)十二月、
    斯波義将(よしゆき)が
    執事(管領)に就任
    (義将は十三歳だった)
  • 父親の斯波高経が
    義将を指図する体制となり、
    斯波父子の権勢は高まった

長者原の合戦

  • そのころ九州では、
    鎮西管領として
    義将の兄弟・氏経が
    南朝軍と戦っていた
  • しかし、氏経な南朝軍に苦戦。
    貞治元年(1362)九月二十一日、
    筑前国長者原(ちょうじゃばる)の戦いで
    菊池武光率いる南朝軍に
    大敗を喫してしまう
  • 京に帰還した氏経は、
    その後遁世者となったらしく、
    消息が分からなくなってしまった

興福寺の強訴

  • 高経は、興福寺と
    荘園をめぐって対立
  • 怒った興福寺は、
    貞治三年(1364)、
    神木を京都に入れ、強訴を行なう
  • この間、
    朝廷の政務・行事は
    全くできなくなってしまい、
    大混乱をきたした

武家役引上げ

  • また、貞治五年、
    斯波義将は、「武家役」の
    税率を引き上げる
  • これも武士たちから
    大反発を受けてしまった

佐々木道誉の大原野花見

  • 佐々木道誉(高氏)と
    斯波高経は対立
  • 北朝貞治五年
    (南朝正平二十一年)
    (1366)三月四日、
    高経が花見を開催
  • しかし、それと同日、
    道誉は大原野の勝持寺で
    遥かに豪勢な花見を開催し、
    人々の注目を集める

高経解任、没落

  • 高経と息子の義将は
    佐々木道誉、赤松則祐などから
    訴えられ、将軍・足利義詮の支持を失う
  • 貞治五年(1366)八月、
    義詮は高経の討伐を決定
  • 高経・義将らは
    自邸に火を放ち、
    越前へと逃亡
  • 高経は杣山城(そまやまじょう)で
    幕府の追討軍と戦いを続け、
    貞治六年(1367)七月に
    没した

補足

  • 道誉が予算・工期ともに守れず
    失敗した五条橋の工事を、
    高経が成功させたので
    面目丸つぶれになった
    道誉が怒ったとも
  • 佐々木高氏は
    ばさら
    の代表格で、
    大原野花見はその真骨頂とされる

場所

参考書籍